家族との確執 クリスタルヒーラー服部美保子が出来るまで(6)
埼玉県朝霞市のクリスタルヒーリング スクール&サロンYou Earth Me(ユーアースミー)
服部美保子です。
◆クリスタルヒーラーになったキッカケ
ただいま自己紹介代わりの半生記を連載中♪
(序章)クリスタルヒーラー服部美保子が出来るまで
(1)「普通」が辛かった義務教育時代
(2)パワーストーンで人生大逆転!?
(3)人生で1番しんどかった時期
(4)気付かずにずっとトラウマだった事
(5)嵐の前の静けさ
渋谷のOL生活を満喫し、優しい夫がいて、割と穏やかな日々を過ごしていた私。
30歳を過ぎた頃に転機が訪れました。それは、
実家の家族との確執。
私は父、母、兄との4人家族。
3つ上の兄は高校を中退して以来、ロックバンドでプロを目指すとか、家業を手伝うなど短期の仕事は色々したのですが、定職に就かず。
それぞれの仕事先では真面目にこなしていたみたいで、様々なお誘いを受けていたのですが、あれこれ理由をつけて断っていました。
プロとして作詞の依頼を受けても「知らない奴に俺の曲を歌わせたくない」とか。
他にもあるけど、まぁ色々そんな感じ。
父は子供の事にはノータッチ。
母はキリキリしながらも、そんな兄に欲しい物を与え、金も与える。
私が「なんでお金渡しちゃうの!?」と言うと、
「あげてるんじゃなくて貸してるの」、「だってお金がないんだからしょうがないじゃない」という返事。
※私からすると、すごい理屈だなと思うのですが。
なのに、たまに里帰りしたり電話すると「お父さんは何もしてくれない」とか「お兄ちゃんは・・・」とか。
父や兄に関する愚痴ばかり。
その状態に私、イライラしてました。
それでも、なんとか兄が自立して手が離れたら、ということを想定して、両親に「一緒に北海道へ移住しよう」と誘っていたんです。
どうして北海道なのかというと、母の実家であることと私たちが結婚式を挙げたニュージーランドの風景にすごく似ていたから。
※今は埼玉県朝霞市の居心地の良さに触れて、移住予定はなくなりました。
そんな中、兄がうつ病を発症。
そして、自己判断で薬の服用をストップして錯乱状態になったんです。
それで電話をした時に母が言った言葉が、
「お兄ちゃんも北海道へ連れて行くかもしれない」
母のその一言で、私の中の色んなものがはじけました。
その場では、うまく自分の想いを表現できなくて、とっさに出た言葉は
「お兄ちゃんも行くなら北海道へは行かない」とだけ。
今、その時の想いを言葉で表現するとしたら
私がせっかく苦労から解放されるように働きかけているのに、なんなの!
という感じでしょうか。
今思えば、両親からはそんなお願いもされていないし、私のエゴ。
もっと深い所まで探って振り返ると
私の方が優秀だし、親孝行になることしてるんだから、私の方が気にかけてもらうべき
みたいな感情もあったように思います。
それから出てきたのは
・兄には自分の部屋があったのに、私は高校卒業まで父と同じ部屋で寝かせられた。
・中学1年の時にクラスメイトに無視されたけど、家族は兄の高校中退問題でそれどころではなかった。
・兄は新しい机を買ってもらったのに、その時私は兄のお古を使わされた。
・私が幼稚園でもらったイベントのチケットを、兄が友達と行くために使われた。
とか、そんな些細な、でも幼心にショックだったことが、ぶわ~~っ!!!と出てきたんです。
何度か話し合ううちに、とうとう泣きわめきました。
私、しっかり者で通っていたのに。
三十路を過ぎてそんなことになるとは。
でも、その時も母からは言い訳みたいな言葉しかもらえませんでした。
気持ちもすっかり落ち込んでしまい、助けを求めたのは、とあるヒーリングサロン。
中学の時からミーハー的に興味のあったヒーリングワークが、この時に役に立ってくれました。
そのヒーラーさんは、私が言葉にできなかった思いを言語化してくれて、この時点でだいぶ気が楽になりました。
そして受けたのが霊氣(レイキ)ヒーリング。
霊氣は初めてでしたが、手を触れられるだけなのに、なんだか霧が晴れたように視界がスッキリ。
身体もスッキリ軽やか。
目の前の問題が、消えたわけではありませんでしたが、不思議な感覚でした。
そして、そのヒーラーさんに
「美保子さんはこういう(ヒーリングの)仕事をするのが向いてますよ」
と言われました。
ここまで長くなってしまったので、続きはこちら。