「普通」が辛かった義務教育時代・クリスタルヒーラー服部美保子が出来るまで(1)
埼玉県朝霞市のクリスタルヒーリング スクール&サロンYou Earth Me(ユーアースミー)
服部美保子です。
◆「好き」より「嫌い」が多かった子供時代
昨日から自己紹介代わりの半生記を綴っています。
突然ですが、あなたの子供の頃の夢って何でしたか?
私は幼稚園~小学校までは「おかしやさん」「おはなやさん」「保母さん」でした。
でも、本当の夢は「魔法使い」でした!
ただ、幼いながらに(魔法使いなんてなれる訳ないじゃん)と思っていて、それを口にする「イタさ」も分かっていたので、次点としてお菓子屋さんやお花屋さんと言ってました。
「保母さん」に至っては、なりたいなんて、これっぽっちも思っていなかった。
小学校の卒業文集で将来の夢を書かされた(←)のですが、(とりあえず何か書かなきゃいけない)と思って、当時上位だった職業を書いただけ(笑)
小中学校時代は、周りを斜め上から見るような子供でした(^^;)
私の家族は父、母、兄の4人家族で、まぁ至って普通の家庭。
家族で出かけたりもしたし、「勉強しなさい!」って普通に怒られたりもしたし。
でもその「普通」が私にとっては、生き辛かったのだろうなー、と思います。
「小中学校の頃の思い出は?」って聞かれて、楽しいこと思い出せないんだもん。
逆に嫌なことは思い出せるわ(苦笑)
成長するにつれて嫌いになったものがあって、それは絵を描くこと。
5歳くらいまでは好きだったんですよね。
それが、幼稚園の卒園アルバム用の絵を描いていた時のこと。
私は女の子の絵を描いていました。
おそらくこんな感じの、イラストチックなの。
ところが、幼稚園の「おえかきのせんせい」という名のじいさん(毒)が、
「人間には白目と黒目があるだろう!鼻には穴があるだろう!」と言って、クレヨンでグリグリグリー!
・・・
で、これ↓
今見ても可愛くない!(笑)
※この頃から鳥好きだったんだなー。
それからも、母から「お兄ちゃんは上手だけど美保子はね…」って言われたりして、絵を描くのはすっかり苦手に。
とにかく親や学校が求めるような「子供らしい子供」になれませんでした。
そんな暗かった義務教育時代に、光が差し始めたのは、中学3年生の時。
次は「パワーストーンで人生大逆転!?」です♪